鈴木宗作
鈴木 宗作(すずき そうさく、1891年(明治24年)9月27日 - 1945年(昭和20年)4月19日)は、日本の陸軍軍人。愛知県出身。陸士24期、陸大31期。
生誕 |
1891年9月27日 大日本帝国 愛知県 |
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死没 |
1945年4月19日(53歳没) フィリピン ミンダナオ海 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍大将 |
太平洋戦争開戦時、第25軍参謀長としてマレー作戦・シンガポールの戦いに参画、占領後に起きたシンガポール華僑粛清事件に関与した。第35軍司令官であった1945年(昭和20年)4月19日、フィリピン戦線で戦死、没後陸軍大将に進級する。
年譜
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- 1891年(明治24年)9月27日、愛知県にて医師鈴木鋲次郎の次男として誕生。のちに愛知県明倫中学校を経て、陸軍士官学校へと進む。
- 1912年(明治45年)5月28日 陸士24期を卒業。成績は酒井康(砲兵科)・澄田𧶛四郎(砲兵科)についで、3番/734名の成績で卒業する。歩兵科トップの優等であった。12月、任歩兵少尉、名古屋城内に駐屯する歩兵第6聯隊附となる。
- 1915年(大正4年)12月25日 任歩兵中尉
- 1919年(大正8年)11月26日 陸軍大学校を1番/60名で卒業、軍刀組となる。同期には、愛知県明倫中学校の同窓生である飯沼守中将(21期)、喜多誠一大将(19期)、小畑英良大将(23期)などがいる。卒業後は、参謀本部附勤務になる。
- 1921年(大正10年)11月22日 任歩兵大尉
- 1923年(大正12年)9月 この頃、陸軍省軍務局に在籍し、ドイツに駐在。
- 1927年(昭和2年)7月26日 任歩兵少佐
- 1928年(昭和3年)12月12日 陸軍技術本部附兼陸軍省軍務局課員陸軍大学校兵学教官
- 1931年(昭和6年)8月1日 任 歩兵中佐
- 1933年(昭和8年)3月 関東軍司令部付、12月23日 関東軍参謀
- 1934年(昭和9年)12月26日 関東庁警務部警備課長
- 1935年(昭和10年)8月1日 任歩兵大佐・歩兵第4聯隊長
- 1938年(昭和13年)7月15日 任少将・中支那派遣軍参謀副長
- 1939年(昭和14年)
- 1940年(昭和15年)3月9日 参謀本部第3部長
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)10月7日 陸軍兵器本廠附
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)7月28日 第35軍司令官
- 1945年(昭和20年)
栄典
編集- 位階
- 勲章
- 外国勲章佩用允許
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。