鈴木 三重子(すずき みえこ、1931年11月24日 - 1987年3月12日)は福島県出身の歌手である。本名:菊地 ミヘ子[1]

鈴木 三重子
出生名 菊地 ミヘ子
生誕 1931年11月24日
出身地 日本の旗 日本福島県
死没 (1987-03-12) 1987年3月12日(55歳没)
ジャンル 民謡、歌謡曲
職業 歌手
活動期間 1954年 - 1980年
レーベル テイチク

経歴

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父は民謡歌手鈴木正夫(三女)。1954年、「相馬盆唄」でテイチクよりレコードデビュー1956年(昭和31年)、「愛ちゃんはお嫁に」の大ヒットで「愛ちゃん」ブームを引き起こす[1]。「愛ちゃんはお嫁に」は発売当時18万枚[2]、1968年(昭和33年)時点では70万枚売れた[3]。この曲は結婚式用ソングとして広く親しまれ[4]、「愛ちゃん」は鈴木三重子自身の愛称にもなった[2]

1958年(昭和33年)には、藤山愛一郎山野愛子と共に愛ちゃんの会を結成する。その後は巡業などを中心に活動を行う。後にポリドールレコードへ移籍し、数枚シングルを発売している。

1980年(昭和55年)、病(静脈瘤の手術)のため歌手活動を引退[1]

1987年(昭和62年)3月12日肝硬変のため都内の病院で死去。55歳没。同3月15日、東京都渋谷区の代々木八幡葬祭場で葬儀・告別式が営まれた。

ペギー葉山がカバーしたことで一躍著名となった「南国土佐を後にして」を1955年(昭和30年)にレコードに吹き込んでいる。

現在、実弟が二代目鈴木正夫1937年11月8日2019年6月19日)として活躍。

NHK紅白歌合戦出場歴

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年度/放送回 曲目 対戦相手
1956年(昭和31年)/第7回 愛ちゃんはお嫁に 若原一郎
1957年(昭和32年)/第8回 坊や船頭さん 青木光一
  • 第7回と第8回の両方とも、ラジオ中継による音声が現存する。
  • 第8回は歌唱中の写真も現存する[5]

代表曲

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  • 相馬盆唄(デビュー曲)
  • 南国土佐を後にして
  • 浮草小唄
  • ほろ酔ユンタ
  • むすめ巡礼
  • 愛ちゃんの子守唄
  • 愛ちゃんはお嫁に
  • 兄さは東京で嫁もろた
  • 潮来恋唄
  • 小島の灯台娘
  • 背戸の踊り子
  • 籠の鳥エレジー

出演映画

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  • 南蛮寺の佝楼男(1957年) - 座員・三重子役
  • 喜劇 団体列車(1967年) - 三重子役

脚注

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  1. ^ a b c 鈴木 三重子とは”. コトバンク. 2020年10月29日閲覧。
  2. ^ a b 松山悦三『才女時代 マス・コミに生きる女性たち』朋文社、1957年(昭和32年)、154頁。NDLJP:2972013/81
  3. ^ 堀内敬三『音楽明治百年史』音楽之友社、1968年、345頁。NDLJP:2518791/189
  4. ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、76頁。ISBN 9784309225043 
  5. ^ 『紅白歌合戦アルバム NHK20回放送のあゆみ』(デイリースポーツ社、1970年)

関連項目

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