鈴木セイ
鈴木 セイ(すずき セイ、1912年〈明治45年〉3月30日[1][2] - 2013年〈平成25年〉1月23日[2])は、日本の福祉活動家[1]。群馬県桐生市境野町出身[2]。
すずき セイ 鈴木 セイ | |
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生誕 |
1912年3月30日 群馬県桐生市境野町 |
死没 | 2013年1月23日(100歳没) |
住居 |
群馬県桐生市境野町 → 群馬県高崎市榛名山町 |
国籍 | 日本 |
活動拠点 | 群馬県高崎市榛名山町 |
受賞 | 吉川英治文化賞(1976年) |
結核患者の介護を志し、母が娘の結婚のためにと貯蓄した資金を学費とし[1]、1942年に看護婦免許、1948年に栄養士免許を取得した[2]。1938年(昭和13年)、榛名山の麓に結核保養所の榛名荘(現、榛名荘病院[3])を開所し[1]、常任理事に就任した[2]。以後、終生にわたってこの榛名荘に第二の故郷として定住した[3]。
重症心身障害児が福祉制度の対象にならず、障害児者関係制度の狭間に置かれていたことを憂慮し、1965年(昭和40年)、群馬県高崎市榛名山町で、群馬初の重症心身障害児施設である「はんなさわらび学園(現、はんな・さわらび療育園)を創設した[1][3]。1976年(昭和51年)には、それまで40年以上にわたる社会福祉事業への尽力を評価され、吉川英治文化賞を受賞した[1][4]。
2013年(平成25年)1月23日、満100歳で死去した[2]。