釜本文男
日本のハンマー投げ選手、コーチ (1918–2011)
略歴
編集兵庫県出身。1951年のアジア競技大会で46メートル65センチメートルの距離を投げ、金メダルを獲得。1956年メルボルンオリンピックに出場したが予選落ち。
1964年の東京オリンピックでは陸上競技のコーチを担当した。また、日本大学陸上競技部監督として東京箱根間往復大学駅伝競走優勝を果たした他、専門のハンマー投げでは菅原武男、室伏重信を育て、ロード・トラック部門では鈴木従道、宇佐美彰朗などの選手を指導した。但し釜本文男本人は駅伝嫌いであったという[2]。
日本大学監督の後に関東学生陸上競技連盟の会長に就任した。
脚注
編集- ^ a b “釜本文男氏死去 メルボルン五輪ハンマー投げ代表”. 47NEWS. 共同通信. (2011年2月12日). オリジナルの2012年7月17日時点におけるアーカイブ。
- ^ “今村忠コラム【甘口辛口】”. SANSPO.COM (サンケイスポーツ). (2011年2月15日) 2011年2月15日閲覧。[リンク切れ]