釜口古墳(かまぐちこふん)は、神奈川県中郡大磯町大磯にある古墳。神奈川県指定史跡に指定されている。

釜口古墳

説明板付近(右上奥に石室開口部)
所在地 神奈川県中郡大磯町大磯(字前谷原)
位置 北緯35度19分2.97秒 東経139度19分6.65秒 / 北緯35.3174917度 東経139.3185139度 / 35.3174917; 139.3185139座標: 北緯35度19分2.97秒 東経139度19分6.65秒 / 北緯35.3174917度 東経139.3185139度 / 35.3174917; 139.3185139
形状 不明
埋葬施設 横穴式石室
出土品 青銅製品・鉄鏃・須恵器
築造時期 7世紀末-8世紀初頭
史跡 神奈川県指定史跡「釜口古墳」
地図
釜口古墳の位置(神奈川県内)
釜口古墳
釜口古墳
地図
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概要

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古墳全景(上方から)
後背に相模湾太平洋)を望む。
 
石室開口部

神奈川県南部、高麗山から南西に延びる尾根の東側鞍部に築造された古墳である[1]。古墳名の「釜口」は釜の口に似た外観に由来する[2]江戸時代末期の『新編相模国風土記稿』には開口している記述が見えるほか[1][3]1953年昭和28年)に調査が実施されている[4]

墳丘封土は石室天井石を覆う程度にのみ残存しており[2]、墳形は明らかでない。埋葬施設は横穴式石室で、南方向に開口する。切石の乱層積みによる石室で、長さ2.92メートル・幅2.64メートル・高さ約2メートルを測る[2]。奥壁・天井石には巨大な一枚石が、羨門には方柱状の切石が使用される[2]。石室内は盗掘に遭っているが、調査では散蓮華形小型青銅製品(銅製匙)・鉄鏃片・須恵器片が検出されており[4][2]、特に青銅製品は仏教関係の遺品として注目される[2]。築造時期は古墳時代終末期7世紀末葉-8世紀初頭頃と推定される[4][2]

古墳域は1954年(昭和29年)に神奈川県指定史跡に指定された[5]。現在では石室内への立ち入りは制限されている。なお、周辺には多数の横穴墓群のほか集落の坊地遺跡があり、本古墳との関連性が指摘される[4]

遺跡歴

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文化財

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神奈川県指定文化財

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  • 史跡
    • 釜口古墳 - 1954年(昭和29年)3月30日指定[5]

脚注

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  1. ^ a b 史跡説明板(大磯町教育委員会、2010年設置)。
  2. ^ a b c d e f g 史跡説明板(神奈川県教育委員会、1979年設置)。
  3. ^ 新編相模国風土記稿.
  4. ^ a b c d e 釜口古墳(平凡社) 1984.
  5. ^ a b c 指定(選択・登録)文化財一覧) (PDF) (大磯町ホームページ)。

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(神奈川県教育委員会1979年設置板、大磯町教育委員会2010年設置板)
  • 「釜口古墳」『日本歴史地名大系 14 神奈川県の地名』平凡社、1984年。ISBN 4582910335 
  • 大谷猛「釜口古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 「二ノ宮庄 大磯宿 虎子釜」『大日本地誌大系』 第37巻新編相模国風土記稿2巻之41村里部淘綾郡巻之3、雄山閣、1932年8月、313頁。NDLJP:1179210/162 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 赤星直忠「神奈川県大磯町釜口古墳」『考古学雑誌』第40巻第1号、日本考古学会、1954年7月、50-54頁。 
  • 『神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告6 -尾根山古墳群・釜口古墳-』神奈川県教育委員会、1974年。 

関連項目

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