釘宮宗大
日本の体操競技選手・体操競技指導者
来歴
編集岩手県出身[2]。中学生時代に体操競技を始め、岩手県立盛岡北高等学校では2002年の全国高等学校総合体育大会体操競技・新体操大会(インターハイ)にも出場した(男子団体および個人総合)[3]。
順天堂大学に進学し、卒業後は同大大学院に進んで修了した。しかし、大学院生時に負傷したため、体操選手としては引退した[2]。指導者に転身し、日本体操協会からの勧めで海外で活動することになる[2]。
2012年から2013年まで、体操スリランカ代表のコーチを務める[2][4]。
2013年、体操のフィリピン代表合宿に日本体操協会から派遣されていた際にカルロス・ユーロの才能を見出し、日本への体操留学を実現させた[5]。2016年からは来日したユーロを高校から7年間に渡って指導した(2023年10月に退任[6])。ユーロは2024年パリオリンピックの体操競技でゆかと跳馬の金メダルを獲得した。ユーロは「釘宮さんに日本の体操を教えてもらったし、本当にありがたい」と述べている[5]。
2019年、カルロス・ユーロの2019年世界体操競技選手権での金メダル獲得により、日本体操協会より優秀指導者特別賞を受賞した[7]。
2020年、日本スポーツ協会より公認スポーツ指導者等表彰を受けた[8]。
2022年には徳洲会体操クラブのコーチを務めた[9]。
2023年 - 2024年度において、日本体操協会の体操競技男子1種公認審判員カテゴリー2を保持する[10]。
脚注
編集- ^ 釘宮 宗大 - 帝京大学(研究者総覧)2024年8月25日閲覧。
- ^ a b c d 母国に金メダルをもたらす? フィリピン体操界のエース、カルロス・ユーロ選手の数奇な二人三脚 - 指さしチャンネル(2021年2月18日)2024年8月25日閲覧。
- ^ 平成14年度全国高等学校総合体育大会 結果 (PDF) - 日本体操協会
- ^ スポーツを通した国際貢献の重要性「令和2年度JOC/NF国際フォーラム」を開催 - 日本オリンピック委員会(2021年2月22日)2024年8月25日閲覧。
- ^ a b “2冠のユーロ、日本に感謝 パッキャオしのぐ人気?―フィリピン・体操〔五輪〕”. 時事通信. (2024年8月5日) 2024年8月24日閲覧。
- ^ ジョー・ガストン「コーチのいないカルロス・ユーロがライバルたちから得た連帯感 」- Olympics.com(2024年4月7日)2024年8月24日閲覧。
- ^ 「2019年世界選手権大会報告会と優秀指導者賞、優秀選手賞、および最優秀選手賞表彰式」 - 日本体操協会facebook(2020年1月18日)2024年8月25日閲覧。
- ^ 令和2年度 公認スポーツ指導者等表彰受賞者名簿 (PDF) - 日本スポーツ協会(p.30を参照)
- ^ 所属選手一覧 - 徳洲会体操クラブ(「コーチ」の箇所を参照)2024年8月25日閲覧。
- ^ 2023~2024年 体操競技男子 1種公認審判員 カテゴリー保有者一覧 (PDF) - 日本体操協会(2024年2月)2024年8月24日閲覧。