金震一
金 震一(キム・ジニル、김진일)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家および中華民国空軍の軍人。中国共産党員[1]。
金震一 | |
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生誕 |
不明 大韓帝国黄海道 |
所属組織 | 中華民国空軍 |
最終階級 | 少校 |
経歴
編集1923年より飛機製造廠(長:楊仙逸)で勤務していたが、1924年7月、同地に新たに開校された広東軍事飛機学校第1期生に選定される[2]。1925年秋に第1期生は卒業するが、金震一は補訓学生として引き続き第2期飛行班で教育を受ける[3]。1926年6月、在学中にソ連に派遣され[4]、レニングラード機械学校(第1レニングラード機械大学のことか)に入学した[1]。中国帰還後の動向については不明だが[1]、おそらく中国空軍の整備士として活動していたと見られる。
1934年頃に崔滄石、金恩済、張聖哲と共に中央航空学校で活動[5]。
1943年8月19日、韓国臨時政府軍務部空軍設計委員[6]。光復軍の飛行隊創設計画に携わった。
1947年8月15日、退役[8]。
栄典
編集出典
編集- ^ a b c 王国贤 (2011年6月19日). “揭秘:最早学航空的中国共产党人是哪些人?” (中国語). 鳳凰網. オリジナルの2011年6月23日時点におけるアーカイブ。 2020年4月17日閲覧。
- ^ 馬 1994, p. 314.
- ^ 馬 1994, p. 315.
- ^ 馬 1994, p. 532.
- ^ “一般資料—民國二十三年 (三十二)” (中国語). 典蔵台湾. 2017年10月22日閲覧。
- ^ “韓国臨時政府部署別職員名簿” (韓国語). 国史編纂委員会. 2017年10月22日閲覧。
- ^ “国民政府広報第2701号(民国35年12月16日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月1日閲覧。
- ^ “国民政府広報第2904号(民国36年8月15日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月22日閲覧。
- ^ “国民政府広報第2649号(民国35年10月15日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月10日閲覧。
参考
編集- 马毓福編著 (1994). 1908-1949中国军事航空. 航空工业出版社