茶道における金輪寺(きんりんじ、こんりんじ)は、茶会で使う茶入れの一種[1]。吉野の金輪寺で後醍醐天皇が僧侶に茶を供したときの逸話に由来する名称[1][2]。本来の材料はで円筒形に作る[3]。その後、松、栃、桑、縞柿、欅、桐などの材料で多くの金輪寺が作られている[3]。元は濃茶に用いた[4]。その後濃茶、薄茶ともに用いられる[1]。現代ではふつう薄茶用とされる[3]。大雲院所蔵の金輪寺は、後醍醐天皇御製とも模作とも言われるが、いずれにしても「第一級の作品」「我国木工芸の最たるもの」「おおらかで力強い」[5]と評される。千利休は金輪寺を好み、初代堺春慶(さかいしゅんけい)に命じて金輪寺を作らせた[6]

脚注

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  1. ^ a b c 金輪寺」『精選版 日本国語大辞典』小学館、コトバンク。2024年11月12日閲覧。
  2. ^ この逸話は史実として明確ではない(前田泰次「注(三一)」『増訂 工芸志料』平凡社〈東洋文庫〉、1974年、330頁340頁)。
  3. ^ a b c 薄茶器」天平堂。2024年11月12日閲覧。
  4. ^ 世界大百科事典(旧版)内の金輪寺の言及」平凡社、コトバンク。2024年11月12日閲覧。
  5. ^ 吉村元雄「図版解説」『棗』芸艸堂、1979年、(頁数字の記載無し)。
  6. ^ 筒井紘一薄茶器」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、コトバンク。2024年11月14日閲覧。