金 聖道(キム・ソンド、김성도、1882年 - 1944年4月1日)は、平壌一帯で活動した女性宗教指導者。聖主教の創始者。

宗教活動

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1923年に「入神」状態でイエスと会って会話を交したと主張し、「直通啓示」を掲げた。「原罪知恵の樹の実を食べたことから来たのではなく、淫乱が堕落の動機だった」と最初に主張したと伝えられる[1]。この、サタンとの淫らな関係で堕落したエバの汚れた血が子孫(人間)につながったため、堕落した子孫は罪のない救世主の純潔な血を受けなければ救われない、という理論がいわゆる「血分け」である。

金聖道の主張は丁得恩金百文朝鮮語版(イスラエル修道院の創始者)に大きな影響を与え、天父教英語版朴泰善統一教文鮮明などにもつながる[2][3]

日帝神社参拝に反対し、1944年4月1日に激しい拷問の末に61歳で死亡した[4]

出典

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  1. ^ 정윤석 (2018年12月16日). “[이단계보7] ‘피갈음’의 실천자 정득은(丁得恩, 1897년~?)” ['ピガルム' の実践者チョン・ドゥクン(丁得恩、1897年~?)] (朝鮮語). 기독교포탈뉴스(キリスト教ポータルニュース). 2022年8月3日閲覧。
  2. ^ 백성호 (2020年4月3日). “선악과를 '성적 타락'으로 본다…이단 원조는 '신령파' 김성도” [善悪の果実を「性的堕落」と見る… 異端信仰「心霊派」キム・ソンド] (朝鮮語). 中央日報. 2022年8月3日閲覧。
  3. ^ Lee Se-young (2020年3月9日). “[History of Korean Small Sects There are 20 Gods and 50 Second Coming Jesuses in Korea]”. The Hankyoreh. 2022年8月3日閲覧。
  4. ^ 최중현『한국메시아운동사 연구〈韓国メシア運動史研究〉』생각하는 백성、1999年、18–25頁。