金成通
明治時代末期から昭和時代前期の政治家、実業家
金成 通(かねなり とおる、1879年(明治12年)6月20日[1][注 1] - 1951年(昭和26年)8月10日[1][2])は、明治時代末期から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。旧姓・蛭田。
経歴
編集茨城県多賀郡、のちの南中郷村[注 2](現北茨城市中郷町)で農業・蛭田源三郎の二男として生まれる[1][3]。上京して商業を学んだ[3]。福島県石城郡錦村(錦町、勿来市を経て現いわき市錦町)の農業・金成竹太郎の養嗣子となる[1][3]。再度上京して経済学などを学んだ[1][3]。
1905年(明治38年)に帰郷して磐東銀行(現東邦銀行)の創立に尽力した[1][3]。1911年(明治44年)福島県会議員に当選したのを皮切りに、同参事会員、錦村長を歴任する[2]。ほか、鮫南中堅農民学校長、東部電力顧問、植田水力電気社長、磐東銀行、福島県農工銀行各取締役などを務める[2][4]。また、昭和人絹(現クレハ)の工場誘致に尽力し、1934年(昭和9年)に錦工場が完成した[1][3]。
1932年(昭和7年)福島県多額納税者として貴族院議員に互選され、研究会に所属して[4]同年9月29日[5]から1939年(昭和14年)9月28日まで在任した[2]。
伝記
編集- 荒井一二『金成通先生略歴』金成通先生頌徳碑建立事務所、1951年。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 太田源次郎『福島県の政治家 : 県会議員・衆議院議員・貴族院議員』帝都日日新聞福島支局、1936年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
- いわき地域学会編『いわきの人物誌 下』いわき市、1992年。