金岡正忠
金岡 正忠(かなおか まさただ[1]、1893年(明治26年)12月14日[2] - 1972年(昭和47年)4月22日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
金岡 正忠 | |
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生誕 |
1893年12月14日 日本 和歌山県 |
死没 | 1972年4月22日(78歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1915年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1893年(明治26年)に和歌山県で生まれた[2]。陸軍士官学校第27期卒業[2]。1939年(昭和14年)8月1日に陸軍歩兵大佐に進級し[1]、12月1日に歩兵第28連隊長に就任した[1]。1941年(昭和16年)7月に第7師団司令部附となり[1]、1942年(昭和17年)8月に陸軍歩兵学校材料廠長に転じた[1]。その後東京陸軍少年飛行兵学校大分教育隊長を経て[3]、1944年(昭和19年)5月15日に大分陸軍少年飛行兵学校長に就任し[1]、8月1日に陸軍少将に進級した[1]。
1945年(昭和20年)5月23日に編制された独立混成第123旅団(第2総軍・第15方面軍)[4]の旅団長に7月5日に就任し[2]、和歌山県御坊で本土決戦に備える中で終戦を迎えた[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977。