金子因之
金子 因之(かねこ よりゆき[1]、1883年(明治16年)1月15日[2] - 1949年(昭和24年)7月25日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
金子 因之 | |
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生誕 |
1883年1月15日 日本 愛媛県 |
死没 | 1949年7月25日(66歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1904年 - 1933年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1883年(明治16年)に愛媛県で生まれた[2]。陸軍士官学校第15期、陸軍大学校第23期卒業[2]。1926年(大正15年)3月2日に陸軍歩兵大佐進級と第6師団司令部附となり[1]、熊本医科大学に配属された[1]。1928年(昭和3年)5月には歩兵第61連隊長(第4師団・歩兵第32旅団[3][4][5])に転じた[1]。
1931年(昭和6年)8月1日に陸軍少将進級と同時に澎湖島要塞司令官(台湾軍[6][7])に着任[1][2]。1932年(昭和7年)5月に歩兵第10旅団長(第11師団[8][9])に転じ[2]、1933年(昭和8年)3月18日に待命となり[2]、3月31日に予備役に編入された[2]。
栄典
編集- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[10]
脚注
編集- ^ a b c d e 外山 1981, 200頁.
- ^ a b c d e f g h 福川 2001, 221頁.
- ^ 外山・森松 1987, 379頁.
- ^ 外山・森松 1987, 380頁.
- ^ 外山・森松 1987, 381頁.
- ^ 外山・森松 1987, 360頁.
- ^ 外山・森松 1987, 361頁.
- ^ 外山・森松 1987, 392頁.
- ^ 外山・森松 1987, 393頁.
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
編集- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。