信濃国水内郡(長野県北端部)出身[1]。その活躍は光仁朝のみに限られている。
宝亀元年(770年)10月、神服毛人女とともに外従五位下に進められる[2]。同3年(772年)正月24日、同族7人とともに連の姓を授けられる。この時、女孺と記されている[1]。同8年(777年)正月10日、足羽黒葛らとともに内位の従五位下となり、命婦となった[3]。
『続日本紀』による
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