野田亀喜
野田 亀喜(龜喜、のだ かめき、1880年(明治13年)4月29日[1] - 1941年(昭和16年)5月29日[1][2])は、明治から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。
野田亀喜 のだ かめき | |
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生年月日 | 1880年4月29日 |
没年月日 | 1941年5月29日(61歳没) |
出身校 | 帝国大学法科大学(現東京大学法学部) |
前職 | 愛国旅行社社長 |
所属政党 | 公正会 |
子女 | 子・野田敏雄(男爵) |
親族 | 父・野田豁通(貴族院議員) |
在任期間 | 1918年7月10日 - 1932年7月9日 |
経歴
編集陸軍主計将校・野田豁通の二男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1913年(大正2年)1月30日、男爵を襲爵した[1][3][4]。
学習院を経て帝国大学法科大学を修了[2][3]。1910年(明治43年)日本建築用紙取締役に就任[2]。その後、台東製糖取締役、木毛取締役、八千代銀行監査役、愛国旅行社社長などを務めた[2][3]。
1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[5][6]、公正会に所属して活動し、1932年(昭和7年)7月9日まで2期在任した[2]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 野田豁通 |
男爵 野田(豁通)家第2代 1913年 - 1941年 |
次代 野田敏雄 |