野村光一
経歴
編集- 大阪府生まれ。京都府立第二中学校(現・京都府立鳥羽高等学校)を経て、1920年、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。小宮豊隆に師事[1]。
- 1921年に渡英。ロンドンの王立音楽アカデミーでピアノを学ぶ。このころ、ブゾーニやラフマニノフの演奏に接する。さらにドイツに渡り、1923年に帰国した後、新聞や雑誌で評論活動をおこなう。
- 1932年に堀内敬三らと「音楽コンクール」(現「日本音楽コンクール」)の創設に関わり、このコンクールの発足時から審査委員長と理事を務める。(1988年より「野村賞」新設)
- 1944年、毎日新聞社に入社。
- 1963年、日本ショパン協会会長に就任(1981年まで)
- 1967年、紫綬褒章受章。
- 1968年、勲四等旭日小綬章受章。
- 1984年、モービル音楽賞受章。
その他
編集娘の輝子は東京藝術大学ピアノ科を卒業し、谷崎潤一郎の娘にピアノを教えていたが、安田善次郎の曾孫で建築設計士の安田紫気郎と結婚した。遠縁に佐々木勇之助(佐々木の妻の兄の養子が光一の父)[2]
主要著作
編集- 『樂壇隨想』(ビクター出版社、1931年)
- 『レコード音樂讀本』(中央公論社、1934年)
- 『名曲に聴く』上・下(創元社、1940年)
- 『批評から見た音樂二十年』(音樂評論社、1948年) 山根銀二と共著
- 『ピアノ音楽史』(音楽之友社、1951年)
- 『レコードに聴くピアノ音楽』(音楽之友社、1953年)
- 『音楽の窓』(音楽之友社、1958年)
- 『ピアニスト』(音楽之友社、1973年)
- 『ピアノ回想記 : ピアノに憑かれて七〇年』(音楽出版社、1975年)
- 『野村光一音楽随想 : ワーグナーは敗けだ』(音楽之友社、1985年)
脚注
編集外部リンク
編集- 日本ショパン協会
- 日本音楽コンクール
- 鎌倉音楽クラブ ◆野村光一賞(器楽部門の特に優秀な演奏に対して)
- 文化人ビデオ かまくら GreenNet 「永遠の音楽青年」昭和63年度制作 30分