野口源一郎
野口 源一郎(のぐち げんいちろう、1870年1月15日(明治2年12月14日[1][2])- 1926年(大正15年)11月18日[1][3][2])は、明治から大正期の農業経営者、政治家。衆議院議員、茨城県稲敷郡朝日村長。
経歴
編集常陸国信太郡実穀村(新治県信太郡実穀村、茨城県[3]信太郡実穀村、朝日村、稲敷郡朝日村[2]実穀[1]を経て現阿見町実穀[1])の旧家で生まれた[1]。慶應義塾で学んだ[2][3]。農業を営む[3]。
政界では、朝日村会議員[1]、同村農会長[1]、同村長[2][3]などに在任。1896年(明治29年)稲敷郡会議員に当選[1]。1903年(明治36年)茨城県会議員に選出され1904年(明治37年)まで在任し[1]、同常置委員も務めた[1]。同年3月、第9回衆議院議員総選挙(茨城県郡部、憲政本党)で当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 茨城県議会史編さん委員会編『茨城県議会史 第2巻』茨城県議会、1963年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。