野原 覚(のはら かく、1910年11月12日 - 1999年4月6日[1])は、日本の政治家日本社会党所属の衆議院議員(4期)。

野原覚
のはら かく
生年月日 1910年11月12日
出生地 日本の旗 日本 長崎県
没年月日 (1999-04-06) 1999年4月6日(88歳没)
出身校 立命館大学専門部法律科卒業
前職 教員
所属政党左派社会党→)
日本社会党
称号 勲二等瑞宝章

選挙区 旧大阪1区
当選回数 4回
在任期間 1953年4月19日 - 1958年4月25日
1960年11月20日 - 1966年12月27日
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略歴

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長崎県出身。1938年(昭和13年)、立命館大学専門部[1]法律科卒業。

大阪府にて教職に就き、大阪教職員組合執行委員長、大阪府労組連合協議会議長、日本教職員組合近畿地区協議会委員長などを歴任。

1953年第26回衆議院議員総選挙にて、左派社会党より旧大阪府第1区で出馬し初当選、以後当選4回[1]社会党左派に属し、党中央委員、遊説部長、国会対策副委員長、書記長などを経て、大阪府連合第一地区協議長、日本農民組合大阪府連顧問、党本部近畿圏整備副委員長に就任したほか、議院運営委員会理事、公職選挙法に関する調査特別委員会理事等も務めた[1]1967年第31回衆議院議員総選挙では西風勲に地盤を譲り旧大阪府第6区から出馬したが落選。

文部委員会、文教委員会などに所属した。1980年勲二等瑞宝章受章。

脚注

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  1. ^ a b c d 明治~昭和, 新訂 政治家人名事典. “野原 覚(ノハラ カク)とは”. コトバンク. 2019年2月1日閲覧。