野原古墳群
埼玉県熊谷市野原にある古墳群。いわゆる「踊る埴輪」の出土地とされている。
野原古墳群(のはらこふんぐん)は、埼玉県熊谷市野原字境田・宮脇にある古墳群。和田川に南面する台地上の広い範囲にかつて30基以上の古墳が分布していたが、現在23基が山林の中に所在する。1976年(昭和51年)10月1日付けで埼玉県選定重要遺跡に選定された[1]。
野原古墳群 | |
---|---|
所在地 | 埼玉県熊谷市野原字境田・宮脇 |
位置 | 北緯36度06分15.7秒 東経139度21分08.8秒 / 北緯36.104361度 東経139.352444度座標: 北緯36度06分15.7秒 東経139度21分08.8秒 / 北緯36.104361度 東経139.352444度 |
規模 | 前方後円墳・円墳23基 |
築造時期 | 6世紀 |
史跡 | 未指定 |
有形文化財 | 1957年(昭和32年)10月18日江南町(現・熊谷市)指定 |
特記事項 |
埼玉県選定重要遺跡 1976年(昭和51年)10月1日県選定 |
地図 |
概要
編集1962年(昭和37年)、採土工事に伴い野原古墳の発掘調査が行われた。1964年(昭和39年)には立正大学が円墳8基の発掘調査を実施した。なお、野原古墳で発見された勾玉や耳環などが1957年(昭和32年)10月18日付で江南町(当時)指定有形文化財(考古資料)に指定された[2]。
野原古墳
編集前方部を南南東に向けて築造された前方後円墳で、開墾によって墳形はかなり乱れていたが、発掘調査時に全長40メートル、高さ5メートル、後円部径16メートルと計測された。主体部は後円部と前方部に横穴式石室が確認されている。後円部の石室は、南西方向に開口する片袖形の横穴式石室である。副葬品は大刀2、鉄鏃19、刀子3が出土している。前方部の石室は、南東方向に開口する胴張りがある片袖形の横穴式石室である。副葬品は大刀1と刀子の破片が発見されている。
1962年(昭和37年)の採土工事中に朝顔形埴輪と形象埴輪(女子、男子頭部、さしば、大刀)が採取されている。6世紀後半の築造と考えられるが、後円部の石室は、前方部の石室より古い形態である。
東京国立博物館所蔵の埴輪「踊る人々(馬飼埴輪)[注 1]」や「笠を被る男子頭部」はこの古墳から出土したとされている[5]。
-
埴輪「踊る人々」(東京国立博物館蔵)
-
埴輪「笠を被る男子頭部」(東京国立博物館所蔵)
-
野原古墳群「踊る埴輪」モニュメント
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “県選定重要遺跡”. 埼玉県 (2020年3月2日). 2020年4月3日閲覧。
- ^ “伝・野原古墳群出土副葬品”. 熊谷市デジタルミュージアム. 2020年4月3日閲覧。
- ^ 塚田 2007.
- ^ 若狭 2009.
- ^ 江南町(熊谷市)教育委員会 2003, p. 2.
参考文献
編集- 江南町(熊谷市)教育委員会『踊る埴輪の里 江南町の文化財』江南町(熊谷市)教育委員会、2003年3月 。
- 塩野, 博『埼玉の古墳 大里』さきたま出版会、2004年9月。ISBN 9784878913846。 NCID BA68966639。
- 塚田, 良道『人物埴輪の文化史的研究』雄山閣、2007年5月31日。ISBN 9784639019831。 NAID 500000351368。
- 若狭, 徹「コラム 踊る埴輪は踊らない?」『もっと知りたいはにわの世界-古代社会からのメッセージ-』東京美術、2009年4月25日。ISBN 9784808708542。 NCID BA90044040。
関連項目
編集外部リンク
編集- 埴輪「踊る人々」 - 東京国立博物館
- 伝・野原古墳群出土副葬品 - 熊谷デジタルミュージアム