野上照代
経歴
編集ドイツ文学者、社会思想研究家で戦後神戸大学教授を務めた野上巌(筆名・新島繁)の娘として東京に生まれる。
1943年、都立家政女学校卒業。図書館講習所入学。1944年、図書館講習所を卒業、山口県の旧制山口高等学校図書室に着任。終戦後、東京へ戻る。1946年、人民新聞社に入社。1947年、八雲書店に入社。同僚に草柳大蔵、仕事で井伏鱒二と知り合い親交を深める。
女学生時代に伊丹万作監督の『赤西蠣太』を観て、ファンレターを書いたのがきっかけで、伊丹家と親しくなり、約1年間、万作の長男伊丹十三と同居し、面倒を見る。1949年の監督の没後、大映京都撮影所で記録係(スクリプター)の見習いとなる。
1950年、黒澤明監督の『羅生門』にスクリプターとして参加。1951年、東宝へ移り『生きる』以降の全黒澤映画に記録・編集・制作助手として参加した。その間、1966年よりサン・アドにも在籍し、CM制作なども手がけた。1979年、同社を退社。
1984年、自らの少女時代を描いた“父へのレクィエム”が読売ヒューマンドキュメンタリーの優秀賞を受賞。2008年これを『母べえ』として山田洋次監督が映画化した。
映画作品
編集記録
編集その他
編集著書
編集受賞
編集- 第5回読売「女性ヒューマン・ドキュメンタリー」大賞・優秀賞(『父へのレクイエム』にて、1984年)
- 第8回日本映画批評家大賞・特別賞(1998年)
- 山路ふみ子功労賞
- 第3回文化庁映画賞・映画功労表彰部門(2005年)
- 第28回(2010年度)川喜多賞[3]
- 第34回日本アカデミー賞・協会特別賞(2011年)
- 第69回毎日映画コンクール・特別賞(2014年)[4]
- 第2回京都国際映画祭・牧野省三賞(2015年)
- 第94回キネマ旬報ベスト・テン・特別賞[5]
テレビ番組
編集脚注
編集- ^ 撮影日誌を元にした共編著『黒澤明 樹海の迷宮』(小学館、2015年)がある
- ^ 第2部に『天気待ち』を再録(元版の第1章は割愛)
- ^ “第28回川喜多賞 野上照代氏”. 公益財団法人川喜多記念映画文化財団. 2021年7月14日閲覧。
- ^ “69th(2014年)”. 毎日映画コンクール. 毎日新聞社. 2021年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月1日閲覧。
- ^ キネマ旬報 ベスト・テン、KINENOTE、2021年2月27日閲覧。
外部リンク
編集- “冨田美香研究室(野上照代の作品リスト)”. 2016年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月1日閲覧。