野々山 享(ののやま すすむ、1930年または1931年 - 2019年<平成31年>4月12日[2])は、セントラル愛知交響楽団副理事長。

ののやま すすむ

野々山 享
死没 2019年4月12日[1](88歳没)
国籍 日本の旗 日本
職業 セントラル愛知交響楽団副理事長[1]
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人物

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元々は国語教師だったが、河合楽器製作所の営業マンに転職[3]。同社社員として1966年(昭和41年)、名古屋フィルハーモニー交響楽団(名フィル)設立に関わる[1]

のち、名フィルで事務局長などを歴任した[1]。その経験を買われ、同じく名古屋市内で活動をしていたが、経営状態の悪かった名古屋シティ管弦楽団から相談を受け、同楽団の経営立て直しに乗り出す[3]。野々山は名フィルを辞め、自宅を担保に借金を肩代わりするなど、背水の陣で臨み、名古屋シティ管弦楽団を5年後にプロオーケストラへと変えた[3]セントラル愛知交響楽団となった同楽団において、事務局長・常務理事などを歴任した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e 日外アソシエーツ 2020, p. 1843.
  2. ^ 「野々山享さん」『中日新聞朝刊』中日新聞社、2019年4月13日、30面。
  3. ^ a b c 長谷義隆「この人 勇退する名古屋のオーケストラ育ての親 野々山享さん」『中日新聞朝刊』中日新聞社、2013年1月10日。

参考文献

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  • 日外アソシエーツ株式会社 編『愛知県人物・人材情報リスト 2021』 3巻、日外アソシエーツ、東京、2020年10月。全国書誌番号:23557540