重清城(しげきよじょう)は、徳島県美馬市美馬町にあった日本の城

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重清城
徳島県
城郭構造 平山城
築城主 小笠原長親
築城年 1339年暦応2年)
主な城主 小笠原氏
大西氏
廃城年 1579年天正7年)
遺構 土塁、郭、堀、井戸
指定文化財 美馬市指定史跡
再建造物 なし
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歴史

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1339年暦応2年)に小笠原長親によって築かれたと伝わる。1577年天正6年)正月に城主の小笠原長政は、白地城の城主であった大西覚養の弟で長宗我部氏に人質として送られていた大西頼包と中鳥城主の久米刑馬によって謀殺された[1]。大西頼包は讃岐国へ逃れていた兄の大西覚養を長宗我部氏に降らせ、重清城に迎えた。

1579年天正7年)に長宗我部元親が攻め入り、十河存保は5千人の兵をもってこれに対応したが敗れ、重清城は落城した[2]

脚注

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  1. ^ 阿波 重清城”. 城郭放浪記. 2021年4月22日閲覧。
  2. ^ 「徳島県の歴史散歩」(2009年山川出版社

関連項目

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