酢香手姫皇女
酢香手姫 皇女(すかてひめ の ひめみこ、生薨年未詳)は、飛鳥時代の皇女である。『法王帝説』にも須加氐古女王(すかてこのひめみこ)とあるが、『古事記』は須賀志呂古郎女(すがしろこのいらつめ)と書く[1]。用明天皇の皇女で、母は当麻倉首日呂(たぎまのくらのおびと ひろ)の女、飯女之子(いひめのこ)とも(『古事記』。『帝説』は葛城当麻倉首比里古(かづらきのたぎまのくらのおびと ひろこ)の女、伊比古郎女(いひこのいらつめ)と書く)、葛城直磐村(かづらきのあたひ いはむら)の娘、広子(ひろこ)とも言われ(『日本書紀』[2])、同母兄に当麻皇子がいる。ちなみに聖徳太子は異母兄に当たる。
酢香手姫皇女 | |
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続柄 | 用明天皇皇女 |
出生 |
不明 |
死去 |
不明 |
父親 | 用明天皇 |
母親 | 葛城広子/当麻倉首飯女之子 |
役職 | 伊勢斎宮 |
生涯
編集『書紀』用明天皇紀によると、用明天皇が敏達天皇14年(585年)9月5日(新暦10月3日)に日本国の第31代天皇に即位すると、斎宮として伊勢神宮に遣わされた。なお『書紀』の分注には、用明天皇の崩御後も引き続き斎宮を務め、推古天皇の時に退下して葛城の地で薨じたと伝え[3]、また「或本云」として、斎宮を務めた期間は37年間であるとも伝える。後者に従えば、斎王退下は推古天皇29年(621年)、もしくは30年(622年)となる。
系譜
編集- 父:用明天皇
- 母:飯女之子(当麻倉首日呂の女)・または広子(葛城直磐村の女)
- 同母兄:当麻皇子
- 伯叔父:敏達天皇・崇峻天皇
- 叔母:推古天皇
脚注
編集参考文献
編集- 『日本書紀 下』(日本古典文学大系新装版)、岩波書店、1993年 ISBN 4-00-004485-0
- 西郷信綱『古事記注釈』第8巻、ちくま学芸文庫、2006年 ISBN 4-480-08918-7
- 『上宮聖徳法王帝説』、岩波文庫、1941年 ISBN 4-00-330341-5