酒巻 靱負(さかまき ゆきえ)は、戦国時代武将忍城城主である成田氏長家臣。靱負は官職名。

 
酒巻靱負
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 酒巻靱負助、酒巻靱負之助詮稠、酒巻靱負、酒巻靱負之助、酒巻靱負允
主君 成田氏長
氏族 酒巻氏
兄弟 酒巻右衛門次郎
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経歴・人物

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元々は金田という姓を名乗っていた。成田親泰の代に成田氏に従ったとされる。忍城の戦いでは、下忍口手島采女以下600人余で守った。忍城開城後は深谷城へ赴き、忍城戦の報告をした。開城後に会津へ向かった主君氏長には同行しなかった。戦いの後、現在の埼玉県羽生市上手子林(かみてこばやし)に土着したとされる[1]

脚注

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  1. ^ 『行田市譚』[要ページ番号]