酒井了知
酒井 了知(さかい のりとも)は、江戸時代の武士。出羽庄内藩一門家老。酒井吉之允(玄蕃)家第7代。小柄な体格と、厳格な性格から五分南蛮(小さい唐辛子の意)と渾名されて畏怖された。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 寛延3年(1750年) |
死没 | 文政3年6月9日(1820年7月18日) |
改名 | 重照→了知 |
別名 | 吉弥、好母、吉之丞、玄蕃、右京、子哲 |
墓所 | 山形県鶴岡市家中新町 大督寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 酒井忠徳 |
藩 | 出羽庄内藩家老 |
氏族 | 酒井氏 |
父母 | 父:酒井重頼 |
子 | 了安、松平久中、直寛、烟林 |
経歴
編集寛延3年(1750年)、出羽庄内藩組頭酒井重頼の四男として生まれる。
安永元年(1772年)9月、父の隠居により家督を相続。安永3年(1774年)12月、組頭。安永6年(1777年)、亀ヶ崎定番。天明2年(1782年)、中老に昇進。
寛政7年(1795年)、藩主忠徳の命で、郷方改革係となり、中老竹内茂樹、郡代服部勝承、白井重行と共に農村改革に着手した。[1]
寛政9年(1797年)3月、家老となる。寛政11年(1799年)、乗輿を許される。享和2年(1802年)9月、亀ヶ崎城代に転任。
脚注
編集- ^ 『贈従三位酒井忠徳公事歴』
参考文献
編集- 『荘内人名辞書』
- 『贈従三位酒井忠徳公事歴』