鄭応沖朝鮮語: 정응충)は、中国文官であり、朝鮮氏族瑞山鄭氏の始祖である。

鄭応沖
各種表記
ハングル 정응충
漢字 鄭応沖
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中国浙江省浦江県人で判将作監事であり、尚書中国語版員外郎中国語版を務めたが、の滅亡のため高麗に亡命した。

鄭応沖の息子の大護軍鄭臣保の功績により、1182年に富城県に封ぜられ、知瑞山郡事に列せられる功労を立てた。以後、瑞山鄭氏は瑞山の最も有力な一族となった。

参考文献

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