鄭判龍
鄭判龍(てい はんりゅう、朝鮮語:정판룡、チョン・パルリョン、中国語:郑判龙、Zhèng Pànlóng、1931年10月2日 - 2001年10月7日)は、中国朝鮮族の作家、知識人、教育家。延辺大学教授、副校長を務めた。『中国朝鮮族と21世紀』『故郷を発ち50年』(民族出版社)など著書多数。[1]
略歴
編集1949年 延辺大学理工学部数学部に入学。その後、朝文学部に転入。
1952年 中国共産党に入党。
1954年9月 モスクワ大学文学部ソ連文学講座大学院生として留学。
1960年2月 学位論文『アレクセイ・トルストイの3部作「苦難の道」の人民描写の原則』で博士候補を習得。
1960年5月 延辺大学語文学部の党総支部書記兼副学部長に就任。
1966年~ 文革時期に「反動学術権威」「修正主義分子」と批判される。
1980年 延辺大学副校長に就任。
1997年 韓国KBS海外同胞賞学術賞を受賞。賞金で「鄭判龍教育発展基金会」を設立し、奨学金を支給。
2001年10月7日、死去。
記念作業
編集2004年10月7日、文学碑除幕式が延辺大学で開かれる。朝鮮・韓国学研究センターの金虎雄主任が文学碑建立の来歴を述べる。
脚注
編集- ^ 百年百人20世紀中国朝鮮族の遜色ない文学知性人鄭判龍.吉林新聞. 2013-07-24