都船令(とせんれい)は、紀元前3世紀から紀元1世紀の中国、前漢時代にあった官職である。

解説

編集

都船令については前漢のものしか知られないが、前漢初期の官制は多くの制度を多く継承しており、秦の時代にもあった可能性がある。

前漢で中尉に属し、中尉が太初元年(紀元前104年)に執金吾と改称すると引き続きその下にあった[1]。次官として(都船丞)がついた[1]

漢書』への如淳の注によれば、都船獄令は治水の官だという[2]。都船令でなく都船獄令と記すのだが、『漢書』本文の別の箇所には丞相薛宣が若いころに都船獄史だったとある[3]。また、都船にかかわって史上に現れる唯一の例は、丞相の王嘉哀帝の怒りをかって都船の詔獄に送られたという事件である[4]。前漢で「都水」は治水の官として中央・地方の様々な官庁に属したが、「都船」はこの官しかない。

後漢では省かれた[5]

脚注

編集
  1. ^ a b 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』103頁。
  2. ^ 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』105頁注5。
  3. ^ 『漢書』漢83、薛宣朱博伝第53、薛宣。ちくま学芸文庫『漢書』7の105頁。
  4. ^ 『漢書』巻86、何武王嘉師丹伝第56、王嘉。ちくま学芸文庫『漢書』7の250頁。
  5. ^ 『続漢書』(『後漢書』に合わさる)百官志4、早稲田文庫『後漢書』志2の512頁。

参考文献

編集
  • 班固著、『漢書
    • 大庭脩監修、漢書百官公卿表研究会『『漢書』百官公卿表訳注』、朋友書店、2014年。
  • 司馬彪続漢書』(范曄『後漢書』に合わさる)
    • 渡邉義浩訳、劉昭注『後漢書』志一、二(早稲田文庫)、早稲田大学出版部、2023年、2024年。

外部リンク

編集