都 稽(と けい、生没年不詳)は、前漢の軍人[1]。冀州魏郡黎陽県の出身[1]。
前漢の武帝のときに南越国の郎として、南越国の丞相の呂嘉の反乱を平定した功により、臨蔡侯に封ぜられた[1]。
都稽の子孫である都祖は、成帝のときに高句麗に移住して朱蒙の臣下となり、朱蒙死後、朱蒙の北夫余時代の妻である礼氏が生んだ類利(瑠璃明王)と類利の腹違いの弟である沸流と温祚の王位継承紛争に介入して類利を支持して、類利が高句麗王に即位することに手柄を立てた[1]。