郷田兼安
郷田 兼安(ごうだ かねやす、1879年(明治12年)11月30日[1] – 1941年(昭和16年)12月10日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。大分県佐伯市長[2]。
経歴
編集鹿児島県出身[3]。1900年(明治33年)11月21日、陸軍士官学校(12期)を卒業し[3]、翌年6月25日に歩兵少尉に任官した[3][4]。1909年(明治42年)12月3日、陸軍大学校(21期)を卒業[5]。以後、台湾軍参謀、歩兵第11連隊長、第12師団司令部附(九州帝国大学配属将校)、歩兵第33旅団長、第4師団司令部附、豊予要塞司令官などを歴任し、1931年(昭和6年)8月1日に陸軍中将に昇進と同時に待命となり、同月29日予備役に編入された[3][4]。
1941年(昭和16年)、佐伯市発足に当たって請われて、同年8月12日、初代の佐伯市長に就任したが、同年12月10日、大分市で行われた県民大会に出席し、その夜に宿舎で急逝した[6]。
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上巻』人事興信所、1939年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1985年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。