裴松之は「見識が乏しく、文章は音の響きも悪い。最も卑劣な作だが、変わった記事が多いので世間によく読まれており、干宝、孫盛らが多く採用している。そのなかには誤りが多い」と極めて辛辣な評価をくだしている[7]。
- ^ 『水経注』巻22
- ^ 『三国志』巻4魏書三 少帝紀 裴松之注「案張璠、虞溥、郭頒皆晋之令史,璠、頒出為官長,溥、鄱陽内史」
- ^ 『隋書』巻33経籍志二
- ^ 『隋書』巻34経籍志三
- ^ 『旧唐書』巻46経籍志上
- ^ 『新唐書』巻58芸文志二
- ^ 『三国志』巻4魏書三 少帝紀 裴松之注「蹇乏全無宮商,最為鄙劣,以時有異事,故頗行於世。干宝、孫盛等多采其言以為晋書,其中虚錯如此者,往往而有之」