郭 逴(かく たく、生没年不詳)は、中国三国時代の呉の政治家。一説には郭連とも。
元興元年(264年)8月、孫晧が皇帝になったときに、郭逴は王蕃・万彧・楼玄と共に散騎中常侍に任じられた[1]。
建衡元年(269年)10月、左丞相の陸凱の病が重くなったとき、孫晧は中書令の董朝を遣わすと、陸凱は何定や奚熙といった小人を遠ざけ、姚信・楼玄・賀邵・張悌・郭逴・薛瑩・滕脩・陸喜・陸抗といった国の支えとなる人物を重用するよう遺言したという[2]。