郢曲抄
概要
編集『郢曲抄』は、治承年間(1177年 - 1181年)頃成立といわれるが詳細は明らかではない。著者も未詳であるが、『梁塵秘抄口伝集第十一』と同一のものとみられ、撰者は、当時の流行歌謡である今様を愛好し、『梁塵秘抄』を編集したことでも知られた後白河法皇と考えられる[1]。古代以来の神楽や催馬楽の秘伝、また、今様や片下(かたおろし)、足柄(あしがら)、田歌などの由来や歌い方が記されている。
なお、郢曲は、平安時代初期には朗詠、催馬楽、神楽歌、風俗歌など宮廷歌謡の総称であったが、平安時代中期には今様歌を含むようになり、平安末期からは神歌(かみうた)、足柄、片下、古柳(こやなぎ)、沙羅林(さらのはやし)などの雑芸をも包含し、歌謡一般を指す広い意味のことばとなった[1]。鎌倉時代末期の卜部兼好(吉田兼好)の随筆『徒然草』のなかに「梁塵秘抄の郢曲の詞(ことば)」とあるのは、郢曲のうち雑芸のことを指しているものと考えられている[注釈 1]。これは、『郢曲抄』の別名を『梁塵秘抄巻十一』と称したことに起因するとみられる[1]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『徒然草』第十四段に、「梁塵秘抄の郢曲のことばこそ、また、あはれなる事は多かンめれ。昔の人は、たゞ、いかに言ひ捨てたることぐさも、みな、いみじく聞ゆるにや」とある。
参照
編集関連項目
編集参考文献
編集- 橋本曜子「郢曲」小学館編『日本大百科全書』(スーパーニッポニカProfessional Win版)小学館、2004年2月。ISBN 4099067459