邦子内親王
守貞親王の皇女。後堀河天皇准母
邦子内親王(くにこないしんのう、承元3年(1209年) - 弘安6年9月4日(1283年9月26日))は、鎌倉時代の皇族、女院。後堀河天皇准母、皇后宮。院号は安嘉門院(あんかもんいん)[1]。法名は正如覚。父は守貞親王(後高倉院)、母は持明院基家の女・御息所陳子(北白河院)。同母弟に後堀河天皇、同母姉に利子内親王(式乾門院)がいる。
邦子内親王 | |
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第86代天皇准母 | |
皇后 | 承久3年(1222年)12月1日 |
安嘉門院 | |
院号宣下 | 貞応3年(1224年)8月4日 |
誕生 | 承元3年(1209年) |
崩御 |
弘安6年9月4日(1283年9月26日) |
父親 | 守貞親王(後高倉院) |
母親 | 持明院陳子(北白河院) |
内親王宣下 | 承久3年(1222年)12月1日 |
八条院領の大部分を含む膨大な荘園群を父から譲られ成立した安嘉門院領は、この後、亀山院、後宇多院、昭慶門院(憙子内親王)を経て、後醍醐天皇に伝わった。
年譜
編集脚注
編集- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 68頁。