遠山喜一郎
遠山 喜一郎(とおやま きいちろう、1909年(明治42年)11月22日 - 1999年(平成11年)9月15日)は、元体操選手。ラジオ体操を考案した人物のひとり[1]。
個人情報 | |
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国籍 | 日本 |
生誕 | 1909年11月22日 日本 茨城県多賀郡日立村 |
死去 | 1999年9月15日 (89歳没) |
スポーツ | |
競技 | 体操 |
経歴・人物
編集茨城県多賀郡日立村(現・日立市)出身。東京高等師範学校を卒業し、熊本師範学校教諭となる[2]。教諭時代に1936年ベルリンオリンピックに出場[3]。
1954年(昭和29年)世界選手権の日本代表団監督、1956年メルボルンオリンピック体操国際審判員などを歴任したのち千葉大学教授となり、1975年(昭和50年)に退官する[2]。退官後は東京女子体育大学教授に転じ1982年(昭和57年)まで務めた[2]。ほか、日本体操協会副会長なども務めた[2]。
栄典
編集脚注
編集- ^ “日立市出身 遠山 喜一郎さん考案「ラジオ体操」”. 日立市教育委員会 生涯学習課. 2019年10月10日閲覧。
- ^ a b c d e 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)『遠山 喜一郎』 - コトバンク
- ^ “Kiichiro Toyama Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月20日閲覧。