達如

江戸時代後期の浄土真宗の僧。東本願寺二十代法主。子に娘、達空、朗晶、娘、娘、娘、朗高

達如(たつにょ、逹如[1])は、江戸時代後期の浄土真宗東本願寺第二十代法主[2]

達如(逹如[1]

安永9年4月26日 - 慶応元年11月4日
1780年5月29日 - 1865年12月21日

上段・旧暦宝暦暦) 下段・グレゴリオ暦
幼名 說丸(あきまる)⇒光養丸
法名 逹如
愚泉
院号 無上覺院
光朗
尊称 達如上人
宗旨 浄土真宗
宗派 (後の真宗大谷派
大谷祖廟
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経歴

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本ページでは、年齢は、数え年。日付は、の正確性、著作との整合を保つ為、寛政9年(1797年[3] )までは、宝暦暦表示。寛政10年(1798年)から、天保14年12月29日1844年2月17日)までは、寛政暦表示。天保15年1月1日1844年2月18日)からは、天保暦表示とする(歿年月日を除く)。また本山は、「本願寺」が正式名称だが、「西本願寺」との区別の便宜上、「東本願寺」と表記。

脚注

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  1. ^ a b 逹如…新字体が用いられる以前の文献に用いられた旧字体。
  2. ^ 正式には「本願寺」。一般には通称である「東本願寺」と呼称するので、「東本願寺第二十代法主」と表記。
  3. ^ a b グレゴリオ暦
  4. ^ 『日本仏家人名辞書』(光融館、1903年)359頁