道下匡子
人物・来歴
編集樺太豊原市生まれ[2]。父親は石川県珠洲郡蛸島村(現・珠洲市)出身で、樺太庁警察部に勤務した[2]。医師で北海道の地域医療に尽くした道下俊一は長兄にあたる[2]。後真岡町に移り、1945年8月のソ連の対日参戦に遭遇する[2]。終結後はソ連占領下の真岡で1年余りを過ごす[2]。1946年12月日本に引揚げた後は、北海道旭川市、札幌市で育った[2]。北海道札幌北高等学校時代の1960年にAFS交換留学生としてアメリカ合衆国ウィスコンシン州の高校に学び、1967年にウィスコンシン大学卒業後、ニューヨークの国連本部に勤務[2]。1969年、帰国。1997年まで東京アメリカン・センターのアーツ・プログラム・スペシャリストとして、現代アメリカ文化の紹介をするほか、翻訳、執筆を通して、ジョージア・オキーフとグロリア・スタイネムを紹介[2]。1995年に亡父の手記と自身や家族などの記憶を元に、前記の樺太での体験を綴ったノンフィクション『ダスビダーニャ、わが樺太』でノンフィクション文学賞蓮如賞優秀作[2]。
著書
編集翻訳
編集- 『ジョージア・オキーフ 崇高なるアメリカ精神の肖像』(ローリー・ライル、パルコ出版局) 1984.2
- 『プレイボーイ・クラブ潜入記 新・生きかた論』(グロリア・スタイネム、三笠書房) 1985.6
- 『ブルック・シールズ 私のライフスタイル』 (ブルック・シールズ、新潮文庫) 1986.3
- 『マリリン』(グロリア・スタイネム、草思社) 1987.10
- 『あなたが私を見つける所』(アン・ビーティ、草思社) 1990.4
- 『ジョージア・オキーフ 人生と作品』(チャールズ・C・エルドリッジ、河出書房新社) 1993.9
- 『ほんとうの自分を求めて 自尊心と愛の革命』(グロリア・スタイネム、中央公論社) 1994.4
- 『恋人はタキシードを着たネコ』(ベッツィ・ハウイー、河出書房新社) 1999.7
- 『セックスとパンと薔薇 21世紀の女たちへ』(エリカ・ジョング、祥伝社) 2001.2
- 『イノック・アーデン』(アルフレッド・ロード・テニスン、愛育社) 2011
脚注
編集参考文献
編集- ブルー・アワー - 紀伊国屋BookWeb