1010系電車(1010けいでんしゃ)は、近畿日本鉄道(近鉄)が導入した一般車両(通勤形電車)である。電算記号はT(10番台)[4]

近鉄1010系電車
名古屋線を走る1010系
基本情報
製造所 近畿車輛
製造年 1972年
製造数 5編成15両
主要諸元
編成 3両編成[1]
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500 V
最高運転速度 名古屋線:110 km/h
湯の山線・鈴鹿線:80 km/h
京都線時代:105 km/h
自重 Mc車・M車:41.0 t [2]
Tc車:35.0 t [2]
全長 20,720[2][3] mm
全幅 2,800[2][3] mm
全高 M車 4,150[2][3]
Tc車 4,017[2][3] mm
台車 Mc・M車:KD-74[2][3]
Tc車:KD-32E/KD-42A/ND-8A[3]→KD-51H
主電動機 三菱電機MB-3020E[2][3]
主電動機出力 132 kW×4[2][3]
駆動方式 WNドライブ
吊り掛け駆動方式※)
歯車比 5.47 (82:15) [2]
制御装置 界磁位相制御
抵抗制御※)
型式:日立製作所製MMC-HTR-20E[2][3]
(三菱電機製ABF※)
制動装置 回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
型式:HSC-R[2][3]
保安装置 近鉄型ATS列車選別装置列車無線装置
備考 ※は登場時
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当初は京都線の920系として登場し、名古屋線への転属の際に1010系に改番された[3][5]。本項では京都線時代の920系電車についても記述する。

概要

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1972年登場。当時、京都線で使用されていた600系などの小型車置き換えと輸送力増強を目的に920系として登場した[1][6][5][7][8][9]。一部の走行機器を600系から流用して製造された吊り掛け駆動方式の旧性能車で[1][3][9]、電気ブレーキも装備していなかったため、通常の営業運転時では京都線・橿原線天理線奈良線大和西大寺駅 - 近鉄奈良駅間の運用に限定されていた[* 1]

車体は8400系と同等の普通鋼製で[3][9]、乗降扉は片側4箇所、座席はロングシートで[8]、車両間の貫通路は幅の広いものとなっている。難波京都寄りからモ920(奇数) + モ920(偶数) + ク970形で3両編成を組成し、5編成15両が製造された[3][5][8][9]

製造当初は冷房装置が省略されていた[8][9]

主要機器(製造当初)

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先述の通り600系の一部機器を流用したため、駆動方式は吊り掛け駆動方式[1]主電動機はMB-213AF(出力は140 kW[1]、制御装置は三菱電機製のABFを搭載し、以上の電装品は1969年に実施された奈良線・京都線の架線電圧1,500 V昇圧工事の際に新製されたものである[9]

電動車台車は将来のカルダン駆動方式化を想定して空気ばねのKD-74を新造したが[3][8][9]、制御車の台車は廃車発生品を流用した[* 2][3][8](後年、奈良線の廃車発生品の金属ばね台車KD-51H(1012F・1013F・1015Fは空気ばね台車KD-64A)に交換[7])。

制動装置はHSCである。集電装置は菱形式のPT-42がモ920形(偶数)に2基装備された[9]

また、歯車比は製造当初、2.29(24:55)であったが、カルダン駆動に改造の際に5.47(15:82)としている[10]

改造

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冷房化と車体前面の方向幕設置と新性能化

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1982年2月から11月にかけて冷房化と車体前面の方向幕設置、制御方式を抵抗制御から界磁位相制御、駆動方式を吊り掛け駆動方式からカルダン駆動方式に変更する新性能化が行われた[1][3][5][7][9]。制御器は8000系回生ブレーキ化によって発生したMMC制御器を流用して改造した日立製作所製MMC-HTR-20E[1][8]、主電動機は廃車となった10100系の三菱電機製MB-3020Eに交換され、出力は125 kWから132 kWに増強された[1][3][8]。この新性能化により、回生ブレーキが使用可能になった[5][8][9]が、集電装置の配置変更は省略されている。

空気圧縮機はHS-10をMc車[7]、電動発電機は日立製HG-634をTc車に搭載した[7]。WNドライブ変更後の車両性能は1000系の3両編成車と同一で[7]、最高速度は110 km/hである。

名古屋線への転属・形式変更

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京都線・橿原線での3両編成による運用が減少したため[3][5]1987年7月から1989年11月にかけて全編成が名古屋線に転属するに当たり、方向転換と連結器の高さ変更とTc車の正面渡り板交換、性能面や機器面でほぼ同一となっていた1000系に続く名古屋寄りからク1110形 - モ1060形 - モ1010形に改番が行われ、形式が1010系に変更された[3][5][8][9]。京都線車両を出自とするため、全線共通仕様の車体を持つVVVFインバータ制御車が投入されるまでは名古屋線車両で唯一幅2800 mmの裾絞り車体を持っていた。

車体更新

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1992年から1993年にかけて全編成に車体側面の方向幕設置を中心とする車体更新が行われた[5]

ク1110形の台車交換

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前述の車体更新後に全編成、後述のB更新・ワンマン運転対応改造時に1012F・1013F・1015Fにク1110形の台車交換が行われた[7]

B更新とワンマン運転対応改造と車体連結部の転落防止幌設置

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2006年7月から2014年9月にかけて1012F・1013F・1015F・モ1060形モ1066(元モ1064)に車体の内外装材交換を中心とする2回目の車体更新(B更新)とワンマン運転対応改造が高安検修センターにて行われた[11][12][7][8]。後年、B更新施工・未施工およびワンマン運転対応・非対応を問わずに全編成に車体連結部の転落防止幌設置が行われた[11][12]

組成変更と編入

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1012Fは2008年8月12日に鈴鹿線三日市駅で停車中、復旧後の2011年1月2日に同一区間を走行中にモ1060形モ1062の床下から発煙する列車火災事故近鉄鈴鹿線三日市駅構内列車火災事故)で被災しており、一旦塩浜検修車庫に留置され、2013年12月に1014Fと共に五位堂検修車庫に自力回送され、それぞれ中間からモ1060形を抜き、名古屋寄りからク1112 + モ1064 + モ1012に組み替えた[13]。この際、ク1110形ク1112はク1116、モ1060形モ1064はモ1066、モ1010形モ1012はモ1016に改番が行われ[13]、1016Fとして車籍登録後[* 3][4]、営業運転に復帰した[9][13][14]。なお、前述の車体連結部の転落防止幌設置は行われたものの、両先頭車は1012F時代に前述のB更新とワンマン運転対応改造が行われたのに対して、中間車は1014F時代に前述のB更新とワンマン運転対応改造が行われていなかったため[13]、先頭車と中間車でモ1060形モ1066(元モ1064)に先述のB更新とワンマン運転対応改造が行われるまで内外装材の異なる3両固定編成となっていた[13]。また、これにより、余剰となったク1110形ク1114・モ1010形モ1014・モ1060形モ1062は一旦高安検車区に留置され[13]2014年9月にモ1060形モ1062が電装解除の上でサ8177に改番が行われ、車齢の高いサ8167(元8000系モ8000形モ8059(近鉄奈良線爆破事件の被災車両))と交換され、8600系8617Fに編入されたが[9]、1012F時代に前述の車体連結部の転落防止幌設置が行われたため、他のT車とは前後逆の窓配置かつ車体断面の異なる4両固定編成に組成変更したことから、4両編成車とは異なる特徴を持つこととなった[15]

  B更新出場 ワンマン対応 廃車
1011F 未施工 非対応[3] 運用中
1012F 2006年7月[11] 対応済[11] 両先頭車のみ2013年12月改番
1013F 2007年8月[12] 対応済[3][9][12] 運用中
1014F 中間車のみ2014年9月 中間車のみ対応済[3][9] 両先頭車のみ2013年12月
1015F 2006年9月[11] 対応済[3][9][11] 運用中
1016F 施工済 対応済[3][9][11] 運用中

編成

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登場時

← 京都
近鉄奈良・天理・橿原神宮前 →
Mc
モ920形(奇数)
M
モ920形(偶数)
Tc
ク970形

現行

← 近鉄名古屋
伊勢中川 →
Tc
ク1110形
M
モ1060形
Mc
モ1010形

運用

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名古屋線の準急普通列車を中心に[3][8][9]、平日早朝の山田線鳥羽線の普通列車(車掌乗務)でも運用されている。

ワンマン運転対応編成は上記運用のほかに湯の山線・鈴鹿線でも運用されている[8][9]

廃車

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先述の車齢の高いサ8167(元8000系モ8000形モ8059(近鉄奈良線爆破事件の被災車両))との交換によるモ1060形モ1062の編入を除き、2013年12月にク1110形ク1114・モ1010形モ1014が廃車された。

2024年10月現在ではク1110形ク1114・モ1010形モ1014以外に廃車された車両は発生しておらず、1011F・1013F・1015F・1016Fの12両が明星検車区に配置されている[16]

参考文献

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  • 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』(カラーブックス)、保育社、1998年。ISBN 4-586-50905-8
  • 日本の私鉄「近畿日本鉄道」p.84・p.85 (著者・編者 広岡友紀、出版・発行 毎日新聞社 2012年) ISBN 978-4-620-32003-8
  • 『近畿日本鉄道完全データ』 p.58・p.59 (発行 メディアックス 2012年) ISBN 9784862013934
  • 飯島厳・藤井信夫・井上広和『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II 通勤車他』ネコ・パブリッシング、2002年(原版は保育社、1986年)。ISBN 4-87366-296-6
  • 『私鉄車両年鑑2012』 16p (発行 イカロス出版 2012年)ISBN 978-4-86320-549-9
  • 三好好三『近鉄電車 大軌デボ1形から「しまかぜ」「青の交響曲」まで100年余りの電車のすべて』(JTBキャンブックス)、JTBパブリッシング、2016年。ISBN 978-4-533-11435-9
  • 交友社鉄道ファン
    • 付録小冊子「大手私鉄車両ファイル 車両配置表&車両データバンク」2007年9月・2008年9月・2013年8月 - 2015年8月・2019年8月発行号
    • 2018年2月号 Vol.58/通巻682号 柴田東吾「機器流用車の現状 大手私鉄後編」p.88 - p.93

脚注

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注釈

  1. ^ ただし、奈良線の大和西大寺以西へは、担当工場である玉川工場への入出場回送の際に入線していたため、920系が奈良線大和西大寺以西の走行実績が全くない訳ではない。
  2. ^ ク971はKD-32E、ク972・ク973は近畿車輛KD-42A、ク974・ク975は日本車輌製造ND-8Aを流用した。いずれも1959年以降に新造された円筒案内式金属ばね台車である[9]
  3. ^ 電算記号はT16に変更した[13]

出典

  1. ^ a b c d e f g h 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.73
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.172-173
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 三好好三『近鉄電車』p.171
  4. ^ a b 三好好三『近鉄電車』p.228
  5. ^ a b c d e f g h 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』p.54
  6. ^ 三好好三『近鉄電車』p.170
  7. ^ a b c d e f g h 日本の私鉄「近畿日本鉄道」p.84・p.85(著者・編者 広岡友紀、出版・発行 毎日新聞社 2012年) ISBN 978-4-620-32003-8
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m 『私鉄車両年鑑2012』 16p (発行 イカロス出版 2012年)ISBN 978-4-86320-549-9
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 交友社鉄道ファン』2018年2月号 Vol.58/通巻682号 柴田東吾「機器流用車の現状 大手私鉄後編」p.88 - p.93
  10. ^ 大手私鉄サイドビュー図鑑 近鉄通勤車(下). イカロス出版株式会社. (2022年9月30日). pp. 10,11 
  11. ^ a b c d e f g 『鉄道ファン』2007年9月号 交友社 「大手私鉄車両ファイル2007 車両配置表&車両データバンク」
  12. ^ a b c d 『鉄道ファン』2008年9月号 交友社「大手私鉄車両ファイル2008 車両配置表&車両データバンク」
  13. ^ a b c d e f g 近鉄 近鉄1010系で組成変更 交友社『鉄道ファン』railf.jp 2013年12月04日
  14. ^ 『鉄道ファン』2014年8月号 交友社 「大手私鉄車両ファイル2014 車両データバンク」
  15. ^ 『鉄道ファン』2015年8月号 交友社「大手私鉄車両ファイル2015 車両データバンク」
  16. ^ 交友社鉄道ファン』2019年8月号 Vol.59/通巻700号 付録小冊子「大手私鉄車両ファイル2019 車両配置表」(当文献にページ番号の記載無し)

関連項目

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外部リンク

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