近藤典生
近藤 典生(こんどう のりお、1915年4月28日 - 1997年1月21日)は、日本の環境共生学者・研究者・指導者。探検家[1]。専門は植物遺伝育種学などで、種無しスイカの生みの親でもある。三重県松阪市生まれ[2]。
経歴
編集1915年、小津茂右衛門の次男として生まれる[1]。は旧制津中学(現・三重県立津高等学校)を経て1939年、東京農業大学農学部農学科卒業[3]。京都帝国大学農学部遺伝子研究室副手。1941年、財団法人木原生物学研究所所員。1944年同研究所主任。1948年、同研究所主任・京都大学副手を辞任、東京農業大学助教授就任。1950年、東京農業大学育種学研究所創設。1954年に農学博士。1957年、東京農業大学教授就任。 1959年には東京農業大学大学院指導教授。1974年、財団法人進化生物学研究所設立[4]。1986年、東京農業大学定年退職、同大学名誉教授[3]。
受賞歴として、1966年 マダガスカル共和国より国家勲章「シュバリエ」マダガスカル共和国より国家勲章「オフィシエ」。1975年 メキシコ連邦国家動章「アギラアステカ(エンコンミエンダ)」。1975年、ボリビア国ラパス市より名誉市民。1976年紫綬褒章。1985年勲三等旭日中綬章[3]。
1986年、外務大臣表彰(諸外国との学術交流大好親善に寄与した功績により)。1988年、ボリビア国コチャバンバ市よりコチャバンバ名誉市民章。ボリビア国サンタクルス市よりサンタクルス名誉市民章。1989年ブラジル国より「グラン・クルツ」勲章(学術交流の功績により)。ブラジル国サンパウロ州より「名誉州民の鍵」。1991年 マダガスカル民主共和国より国家勲章「グラン・オフィシエ」。ボリビア共和国より国家勲章「コンドルデロ スアンデス」など[5]。
著書
編集- https://www.shinzansha.co.jp/author/a83774.html
- 近藤典生、もうひとつの世界:エコロジカル・パークの思想とその方法 プロセスアーキテクチュア 1992[7]
- 創意と模索 自然思考造景 プロセスアーキテクチュア 1992年刊
指導・監修
編集- 熱川バナナワニ園[8][9]
- 伊豆シャボテン動物公園[10]
- 長崎鼻パーキングガーデン
- 鹿児島市平川動物公園
- 長崎バイオパーク[11]
- 名護市ネオパークオキナワ[12]
- 東京農大進化研究所ボランティアサザンクロスジャパン協会[13]
- 兵庫県立人と自然の博物館[14]
関連項目
編集脚注
編集- ^ a b “近藤典生の世界 - 東京農業大学”. 2019年10月1日閲覧。
- ^ “『近藤典生、もうひとつの世界―エコロジカル・パークの思想とその方法』|感想・レビュー”. 読書メーター. 2019年10月1日閲覧。
- ^ a b c 近藤典生教授 : 東京農業大学教授退職記念文集. 近藤典生先生退職記念会記念文集編集委員会. (1986)
- ^ “例会履歴(第1回~10回) - 生き物文化誌学会”. www.net-sbs.org. 2019年10月1日閲覧。
- ^ “第5回農大ロビー展「近藤典生と自然動植物公園」”. nodaiweb.university.jp. 2019年10月1日閲覧。
- ^ 『現代物故者事典 1997~1999』(日外アソシエーツ、2000年)p.247
- ^ 近藤典生 (1992). 近藤典生, もうひとつの世界: エコロジカル・パークの思想とその方法. プロセスアーキテクチュア. ISBN 9784893317070
- ^ “東京農業大学農大 本校 学校だより【7 月 12 日】第 16 号”. 2019年10月1日閲覧。
- ^ “宇部市ときわ動物園に「中南米、アフリカ・マダガスカル、山口・宇部の自然」ゾーンをつくる”. 2019年10月1日閲覧。
- ^ “公園の歴史|伊豆シャボテン動物公園グループ”. shaboten.co.jp. 2019年10月1日閲覧。
- ^ “公式ブログ “Como esta! BIO PARK” | 長崎バイオパーク - ZOOっと近くにふれあえる九州の動物園&植物園”. 長崎バイオパーク. 2019年10月1日閲覧。
- ^ “基本理念”. 名護市 ネオパークオキナワ. 2019年10月1日閲覧。
- ^ “マダガスカル研究懇談会│Conference/懇談会”. www.madacom.org. 2019年10月1日閲覧。
- ^ “兵庫県立自然系博物館(仮称)準備室ニュース”. www.hitohaku.jp. 2019年10月1日閲覧。