辻寛
辻 寛(つじ ゆたか、文久元年10月24日[1](1861年11月26日) - 昭和4年(1929年)9月24日[2])は、衆議院議員(立憲政友会→立憲同志会→憲政会)、ジャーナリスト。
経歴
編集伊勢国三重郡水沢村(現在の三重県四日市市)に辻武平治の長男として生まれる。東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業後、三重県山田郡立中学校の教諭に任じられた[1]。その後、三重新聞社の社長として経営にあたり、また雑誌「三重県人」の主幹となった[2]。
三重県会議員を経て、1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第11回・第12回でも再選された。
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。