軟障
日本の垂れ幕を使った仕切り
軟障(ぜじょう・ぜんじょう[1])は、日本の邸宅や宮殿で用いられた垂れ布を使った仕切り。装飾性の高い壁代の一種で、簾の内側に掛けて目隠しにしたり、部屋と部屋の間の間仕切り代わりとして使用した。白い生絹6幅を横につなげ、唐絵で背の高い松や四季の木々を描いたり、物語の一場面など優雅な風景を描いた。高松を用いたものを特に「高松軟障」といった。裏地には白練の絹をつけ、上下左右に紫の綾(裏は紫練絹)で広い縁をつけ、更に紐を通すための輪(乳・耳)を付ける。吊る時には縁と同質の綾を畳んで紐として用いる。
12世紀後半に記された『雅亮装束抄』には軟障にえがく唐絵のこと、室内にひくひきかた等について次のように記載されている。
高松の軟障を懸く。東三条にありしは、嵯峨野に狩せし少将をぞかかれたりし。これをたつる事稀の事也。……母屋三方に御簾を懸けておろしたる上に、軟障とて幔の様なる絹に、高き松を本体にて、四季の木どもを画きたり。是等四季の絵を画きたれば、春を東に始めて引くべし。母屋の御簾の帽額の下の際に押当てて引くべし、もと紐を幔の様に付けて綱を具したれども、綱しては引くべからず。綱の緒は、御簾と軟障との中に押隠して、縁の中にこはしの板を入れて帽額の下の際に押当てて、柱にとぢつけたるがよきなり、たけ短くて、下の簾がむなかへり、御簾二つがいきあひをば、はなつきに人のするなり、その儀わろし。一へりを引重ねて引くべし。但、間も広くて軟障は狭くば、ちがへることかなはじ、はなつきにすべし。
脚注
編集- ^ ゼンは漢音。ゼジョウはゼンジョウのンが発音されないもの。
参考文献
編集外部リンク
編集- 東京国立博物館『類爽雑要抄指図巻』巻1下(江戸時代書写)、軟障を吊した室礼の図。