足立康 (建築史家)
日本の建築史家
足立 康(あだち こう、1898年(明治31年)7月10日 - 1941年(昭和16年)12月29日)は、日本の歴史学者。建築史家。
あだち こう 足立 康 | |
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生誕 |
1898年7月10日 神奈川県中郡城島村 |
死没 | 1941年12月29日(43歳没) |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 建築史 |
出身校 | 東京帝国大学 |
プロジェクト:人物伝 |
生涯
編集神奈川県中郡城島村(現・平塚市)に生まれる[1]。1928年(昭和3年)、東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業し、大学院へ進んでから、東京帝国大学工学部建築学教室で日本建築史を専攻[2]。
1934年(昭和9年) 日本古文化研究所理事就任、建築史研究会を設立[3]。1934年、「薬師寺塔婆の研究」で工学博士[4]。
1938年(昭和13年) 建築史研究会機関誌『建築史』を創刊、その主幹となる。
藤原宮趾に始まる綿密な遺跡調査、法隆寺非再建論(法隆寺再建非再建論争)に代表される学説論争によって、古代建築史の研究に多くの功績を残す。
在野にあって自ら建築史の研究会を起こし、独自の研究を発表し続けたが若くして急逝[5]。