足利 輝若丸(あしかが てるわかまる)は、戦国時代の人物。室町幕府の第13代将軍足利義輝嫡男。名は、菊若丸(きくわかまる)とも伝わる[1]

 
足利 輝若丸
時代 戦国時代
生誕 永禄5年4月11日1562年5月13日
死没 永禄5年7月13日(1562年8月12日
別名 菊若丸[1]
幕府 室町幕府
氏族 足利将軍家
父母 父:足利義輝、母:小侍従局?
兄弟 輝若丸、ほか
テンプレートを表示

公的な記録がある義輝唯一の男子である(他に女子が3名伝わる)[1]

生涯

編集

永禄5年(1562年)4月11日、将軍・足利義輝の嫡子として誕生した[1][2]。生母は小侍従局ではないかと考えられているが、詳細は不明[注釈 1]

この年、六角義賢京都侵攻によって、3月6日に義輝が石清水八幡宮に退避しており[3][4][5]、輝若丸の誕生はそうした中での出来事であった。

5月20日、三好勢が教興寺の戦いに勝利し、6月22日に義輝も京都に帰還した[6]。だが、こうした不安定な状況が影響したのか、7月13日に輝若丸は生誕から3ヶ月ほどで夭折した[1][7]

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 輝若丸の生母の詳細が不明な理由としては、この時代の事情に明るい『言継卿記』(山科言継の日記)の当該期が欠損しているためである[1]

出典

編集
  1. ^ a b c d e f 小林 2019, p. 207.
  2. ^ お湯殿の上の日記』永禄5年4月11日条
  3. ^ 天野 2014, p. 113.
  4. ^ 山田 2019, p. 118.
  5. ^ お湯殿の上の日記』永禄5年3月6日条
  6. ^ 天野 2014, pp. 114–115.
  7. ^ 『東寺過去帳抜書』。

参考文献

編集
  • 木下昌規「総論 足利義輝政権の研究」木下昌規 編『シリーズ・室町幕府の研究 第四巻 足利義輝』(戎光祥出版、2018年) ISBN 978-4-86403-303-9 P37.
  • 小林正信『明智光秀の乱 ―天正十年六月政変 織田政権の成立と崩壊』(新装改訂増補版)里文出版、2019年。 
  • 山田康弘『足利義輝・義昭 天下諸侍、御主に候』ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本評伝選〉、2019年12月。ISBN 4623087913 
  • 天野忠幸『三好長慶 諸人之を仰ぐこと北斗泰山』ミネルヴァ書房、2014年。ISBN 978-4-623-07072-5 

関連項目

編集