赤木 格堂(あかき かくどう、1879年明治12年)7月27日[1] - 1948年昭和23年)12月1日[2])は、衆議院議員ジャーナリスト俳人。本名は亀一

赤木格堂(赤木亀一)

経歴

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岡山県児島郡小串村(現在の岡山市南区)出身[3]東京専門学校(現在の早稲田大学)に在学中、正岡子規俳句を師事し、『日本附録週報』の代選を任せられた[1]1902年(明治35年)に卒業した後は、『九州日報』の主筆を務めた[1]。その後、フランスに3年間留学し、植民政策学を専攻した[3]。さらに雑誌『青年日本』を経営し、『国民新聞』『大阪朝日新聞』に寄稿した[4]

1917年大正6年)、衆議院議員補欠選挙に立候補し、当選を果たした。

その後、『山陽新報』主筆に就任し[4]、小串村長も務めた[1]

著書

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  • 『独逸を中心に』(大阪屋号書店、1918年)
  • 『赤木格堂先生植民政策論 第一輯』(雑賀博愛編、東半球協会、1943年)
  • 『赤木格堂先生植民政策論 第二輯』(雑賀博愛編、東半球協会、1943年)

脚注

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  1. ^ a b c d 柴田, 奈美「正岡子規と赤木格堂 - 四季生前までの年譜を中心に」『岡山県立大学短期大学部研究紀要』第9巻、2002年、13-21頁。 
  2. ^ 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
  3. ^ a b 『衆議院要覧』
  4. ^ a b 『岡山県児島郡案内誌』p.75

参考文献

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  • 『衆議院要覧 下巻 大正七年十二月』衆議院事務局、1918年。 
  • 岡本岩松編『岡山県児島郡案内誌』児島郡案内誌編纂会、1922年。