赤丸城
赤丸城(あかまるじょう)は、富山県高岡市福岡町舞谷にあった日本の城(山城)。高岡市指定史跡[2]。とやま城郭カードNo.32[3][4]。
赤丸城 (富山県) | |
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赤丸城 主郭 | |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 不明 |
築城年 | 天正年間(1573年-1591年)以前 |
主な改修者 | 佐々成政? |
主な城主 | 中山次郎兵衛 |
廃城年 | 天正13年(1585年)以降 |
遺構 | 曲輪、堀切、畝状竪堀、虎口、井戸 |
指定文化財 | 高岡市指定史跡 |
埋蔵文化財 包蔵地番号 | 遺跡番号422044[1] |
位置 | 北緯36度44分14秒 東経136度55分16.9秒 / 北緯36.73722度 東経136.921361度座標: 北緯36度44分14秒 東経136度55分16.9秒 / 北緯36.73722度 東経136.921361度 |
地図 |
規模
編集主郭は城ヶ平山(174メートル)の山頂部に築かれていた。削平地は山の一帯に広がっており、城の東側に堀切、西側には県内では珍しい畝状竪堀が残っている。また山裾を西は今石動(現富山県小矢部市)、東は越中国守山城へと通ずる旧街道『山根道』が走っていた。また城内には当時使われていた井戸が残っており、中から滑車や錘、土器等が見つかっている。
歴史
編集築城年代は不明だが、天正年間(1573年 - 1591年)に越中国五位庄を治めていた国人で浅井城主・中山国松の弟、次郎兵衛が拠ったとされる。中山氏は、室町時代-戦国時代前期の15世紀代までは浅井城を本城としていたが、戦国時代後期の16世紀代に入り赤丸城へ本城を移したと考えられている[1][5]。
なお、長禄年間(1457年 - 1459年)に加賀国の半国守護赤松政則が「城ヶ平」に居住したと伝わるが、越中国鴨城の事ではないかとする意見もある。因みに鴨城は赤丸城の南西約1キロメートル、浅井城は北東約600メートルに位置している。
天正年間前半、上杉謙信に攻められている。
天正12年(1584年)、この頃前田利家に対する防衛拠点の一つとして改修が施されたと思われる。虎口などにその痕跡が見られる。
現在
編集周辺には富山県指定史跡である城ガ平横穴古墳があり、これらと共に赤丸城を通る遊歩道が設置され、ハイキングコースとなっている。
脚注
編集- ^ a b 高岡市教育委員会 2006 p.10
- ^ 「市内文化財:高岡市指定文化財(91件)」高岡市公式HP
- ^ 「とやま城郭カードが完成しました!」砺波市公式HP
- ^ 「とやま城郭カード一覧」砺波市公式HP
- ^ 高岡市教育委員会 2006 p.8
参考文献
編集- 高岡市教育委員会 2006『福岡町埋蔵文化財調査報告書16:富山県福岡町埋蔵文化財分布調査報告Ⅳ』高岡市
- 「浅井城跡」p.8
- 「赤丸城跡」p.10