賛首流(さんしゅりゅう[1]朝鮮語: 찬수류生没年不詳)は、『南斉書』に登場する百済東城王代将軍[2]

賛首流
各種表記
ハングル 찬수류
漢字 賛首流
発音: {{{nihonngo-yomi}}}
日本語読み: さんしゅりゅう
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人物

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南斉書』によると、490年北魏軍が百済に侵攻したため、東城王は、解礼昆沙法名、賛首流、木干那に命じて、北魏軍を迎撃したという。495年、この戦功により、賛首流は、南斉皇帝より「行安国将軍壁中王」の官爵を授けられたという[2]

考証

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北魏軍が黄海を渡海して百済本国を攻撃したとは考えにくいため、北魏軍による百済攻撃は、百済本国ではなく、遼西にあったという百済の「西百済」とみる見解がある[3]

ただし、『南斉書』に登場する「西百済」の存在自体が疑問視されている。

脚注

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  1. ^ 河内春人『倭の五王 – 王位継承と五世紀の東アジア』中央公論新社中公新書〉、2018年1月19日、70頁。ISBN 4121024702 
  2. ^ a b “찬수류(贊首流)”. 韓国学中央研究院. オリジナルの2022年11月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221119094435/http://people.aks.ac.kr/front/dirSer/ppl/pplView.aks?pplId=PPL_2BKJ_A9999_1_0019197 
  3. ^ “해례곤(解禮昆)”. 韓国民族文化大百科事典. オリジナルの2022年10月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221026120430/http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Index?contents_id=E0062565