賈治国
賈治国(か じこく、1935年 - )は、洗礼名をユリウスといい、パウロ会士で、カトリック正定教区の司教(1981年 - )。教皇への忠誠のために中国天主教愛国会に加入せず、何度も逮捕されている。
賈治国 | |
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職業: | カトリック正定教区司教 |
各種表記 | |
繁体字: | 賈治國 |
簡体字: | 贾治国 |
拼音: | Jiǎ Zhìguó |
ラテン字: | Chia Chih-kuo |
和名表記: | か じこく |
発音転記: | ジャ・ツィグオ |
英語名: | Julius Jia Zhiguo |
経歴
編集賈治国は中国河北省晋州武邱村に生まれ、熱心なカトリックであった。1963年から1978年まで15年もの間、刑に服した。1980年、賈治国は保定教区范学淹司教により司祭に叙階された。1981年には再び范司教により正定教区の2代目の司教に聖別された。この後に十数回も逮捕されている。2005年11月8日、アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュが中国を訪問する前夜に賈司教は逮捕された[1]。10ヶ月後の2006年9月に釈放された。2007年6月5日、賈治国は再び逮捕された[2]。2008年8月24日、北京オリンピックの閉会日に、賈司教は河北省石家荘附近の武邱村の王たるキリスト司教座聖堂で公安に連れ去られた[3]、同年9月18日のパラリンピック閉幕後に釈放された。2008年末に、愛国会の石家荘教区司教である蒋陶然はローマ教皇庁と和解して賈司教に服従し、正定教区の統合が実現した。2009年3月30日、賈治国主教は武邱村の王たるキリスト司教座聖堂から公安に連行された[4]。約13ヶ月後の2010年7月に釈放された[5]。
脚注
編集- ^ 严控地下教会 北京又捕传教士、星島環球網、2005-11-30
- ^ 河北地下教會主教賈治国再被捕、中加郵報、2007年6月7日
- ^ ワシントンポスト 2008年8月26日
- ^ 梵蒂岡責中国拘地下教會主教、亞洲時報、2009年4月3日
- ^ 正定地下教会主教贾治国获释| 中国短讯| Deutsche Welle 2010年7月8日