賀島政徳

日本の江戸時代後期の武士。阿波徳島藩家老賀島政孝の子で、阿波賀島氏10代当主(部屋住料2000石→家督相続後1万石)。家老・宗門改御用を勤めた

賀島 政徳(かしま まさのり、宝暦12年(1762年) - 文化9年8月24日1812年9月29日))は、徳島藩家老賀島家10代当主。

父は徳島藩家老賀島政孝。正室は長谷川貞幹の娘。子は賀島政延。幼名は長熊。通称は長門。

経歴

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宝暦12年(1762年)、徳島藩家老賀島政孝の子として生まれる。天明3年(1783年)、藩主蜂須賀治昭に部屋住料2000石を賜り、宗門方御用を拝命する。寛政2年(1790年)、父の隠居により家督と知行1万石を相続する。仕置家老として治昭に仕えた。文化9年(1812年)8月24日死去。享年51。家督は嫡男の政延が相続した。

参考文献

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  • 「阿南市史」