豎刁(じゅちょう)は、春秋時代の人。斉の桓公の家臣。自ら後宮の管理を願い出て去勢し、宦官となって桓公の信任を得たことで有名。このことから自宮宦官の祖と伝えられる。
「管鮑の交わり」の故事で知られる名宰相の管仲や鮑叔と激しく対立していたが、両名の死後に公子開方・易牙と共に権力を握り、桓公の死後は、太子昭や他の公子らを追放。自ら公子無詭を擁立した。しかし昭が隣国の宋の襄公と組んで反撃したため、これと戦い戦死したと伝えられる。正確な生没年は不詳である。