豊田神社(とよたじんじゃ)は、日本統治時代の台湾における台湾の官営日本人移民村中国語版のひとつ、豊田村(現在の台湾花蓮県寿豊郷豊裡、豊山、豊坪など3集落にわたる地域)に存在した神社である。1915年に建立され、第2次世界大戦後は碧蓮寺に改装された[3]。神社遺跡の鳥居、石燈籠と狛犬などは2009年8月13日をもって「豊田神社参道と遺構(碧蓮寺の周辺施設)」の名義で花蓮県歴史建築中国語版に指定された[1]

豊田神社
所在地 花蓮港庁花蓮郡中国語版寿庄中国語版豊田村森本(現在の花蓮県寿豊郷豊裡村民権街と中山路交差点および民権街と豊正路交差点[1]
位置 北緯23度50分19.79秒 東経121度30分1.01秒 / 北緯23.8388306度 東経121.5002806度 / 23.8388306; 121.5002806 (豊田神社 (花蓮港庁))座標: 北緯23度50分19.79秒 東経121度30分1.01秒 / 北緯23.8388306度 東経121.5002806度 / 23.8388306; 121.5002806 (豊田神社 (花蓮港庁))
主祭神 能久親王
大国魂命
大己貴命
少彦名命[2]
社格 無格社[2]
創建 1915年大正4年)
地図
豊田神社の位置(台湾内)
豊田神社
豊田神社
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碧蓮寺
豊田神社参道と遺構
碧蓮寺

沿革

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日本統治時代

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豊田村は日本統治時代の台湾における日本人移民村の一つで、1913年に開基した。翌年の1914年10月、村の代表者である上野二三、金子義敦、石内伝三郎に小松兼太郎らが台湾総督府に神社設立を申請した。神社は豊田村の大平、中里、森本、山下集落の日本人住民の精神的支柱としての存在が求められた[4]。豊田神社は大正3年(1914年)12月に建築が開始され、翌年1月に本殿が完成、拝殿と鳥居、6月5日に鎮座式が挙行された。例祭日ははじめ鎮座式の6月5日と定められたが、この時期は農繁期でなおかつ炎熱の気候にさいなまれるため大正11年(1922年)に10月25日に改められた[3]。豊田神社は後の1937年6月5日、改築を祝っての遷座式が改めて執り行われた[5]

戦後

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第2次世界大戦後も豊田神社の建築は残され、民国35年(1946年)年に釈迦および不動明王を祀る「豊田碧蓮寺」に改められ、灌仏会中元節下元節中国語版の折は祭礼が執り行われた[6]。だが民国47年(1958年)7月、ウイニー台風中国語版の襲来によって神社以来の建築は倒壊し、住民は仮小屋を設けて釈迦と不動明王の像を守った。そして民国50年(1961年)、宜蘭県羅東鎮の東山寺に新築された大殿を参考として再建工事が進み翌年3月に落成、名称は正式に「豊田碧蓮寺」と改められ、新たに神農地母娘宮媽祖が祀られた[6]

神職

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豊田神社歴代神職一覽[7]
姓名 任期 備考
小松兼太郎 1930年から1937年 1930年から豊田神社の神職を勤めるが、任期中に死去した[8]
立川虎之助 1938年至1942年 林田神社の神職を兼任[9]、のちに依願退職。
小松石夫 1942年から1945年 小松兼太郎の子[10]

建築

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豊田神社鳥居

豊田神社は北向き(実際には北東向き)の建築である。他の台湾の神社が南向きであることから見れば珍しい。かつての神社の拝殿の位置に碧蓮寺が建てられ、豊裡村中山路と民権街の交差点に寺の山門の意味合いを持つ鳥居がある。一の鳥居から寺院の敷地まで数百メートルにわたる南西向きの道のりはかつての参道であり、碧蓮寺に改装された現在でも石灯籠が配置され狛犬が鎮座している。境内には台湾総督長谷川清の揮毫による「開村三十週年紀念碑」が現存する[3]

祭神

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豊田神社の祭神は大国魂命大己貴命少彦名命能久親王だった。碧蓮寺に改められてのちは釈迦不動明王五穀爺地母娘娘天上聖母関聖帝君と、仏教道教が同居している。

関連項目

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参考文献

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  1. ^ a b 豐田神社參道與遺構(碧蓮寺之週邊設施)”. 文化部文化資產局. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月24日閲覧。
  2. ^ a b 臺灣總督府社會課編『《臺灣に於ける神社及宗教》』臺灣總督府文教局社會課、1943年、18頁頁http://jdlib.ntl.gov.tw/cgi-bin/gs/gsweb.cgi?ccd=ik3Dwg&o=v0-6# [リンク切れ]
  3. ^ a b c 潘繼道 (2002-06-30). “〈花蓮豐田村日治時期遺跡(上)——豐田神社〉”. 《臺灣文獻別冊》1 (國史館臺灣文獻館): 48─53頁. 
  4. ^ 臺灣總督府 (1914年). “豊田神社建設許可”. 臺灣總督府檔案. 2023年12月9日閲覧。
  5. ^ 臺灣農林新聞社 (1937-06-23). “豐田神社祭”. 臺灣農林新聞 (18). 
  6. ^ a b 內政部全國宗教資訊系統——碧蓮寺歷史沿革”. 2013年8月24日閲覧。[リンク切れ]
  7. ^ 臺灣總督府職員錄系統”. 中央研究院臺灣史研究所. 2019年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月9日閲覧。
  8. ^ 臺灣總督府 (1937-09-10). “彙報 神職死亡”. 臺灣總督府報. 
  9. ^ 臺灣總督府 (1938-04-05). “敘任及辭令”. 臺灣總督府報. 
  10. ^ 楊, 富民 (2019). 後山來去: 豐田村誌. 大塊文化. ISBN 9789865406400