豊増竜次郎

日本の衆議院議員

豊増 竜次郎(とよます りゅうじろう、1870年1月25日明治2年12月24日[1] - 1941年昭和16年)12月31日[2])は、日本の衆議院議員立憲同志会憲政会)。弁護士[1][3]。族籍は佐賀県平民[1][3]

豊増竜次郎

経歴

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肥前国養父郡旭村(現在の佐賀県鳥栖市)出身。豊増清作の二男[1][3]1889年(明治22年)に明治法律学校(現在の明治大学)を卒業した後、佐賀市で弁護士を開業した[2]。佐賀市弁護士会副会長、同会長を歴任[1][2]。また佐賀市会議員に選ばれ、議長も務めた[1]

1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第12回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。

その他、佐賀毎日新聞社社長、佐賀瓦斯株式会社取締役などを務めた[2]

家族・親族

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豊増家 

佐賀県三養基郡旭村、佐賀市松原町[1][3]

  • 父・清作(佐賀平民)[1][3]
  • 妻・一女(熊本士族、柳原善太の長女)[1][3]
1871年 -
1897年 -
1902年 -
1904年 -
1907年 -
1912年 -
1898年 -
1900年 -

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『人事興信録 第4版』と22-23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月12日閲覧。
  2. ^ a b c d 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第5版』と27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月12日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。